空腹

数日前にキャッシュカードを紛失。

再発行するには実家に置いてきた通帳が必要なので、通帳が届くまで口座から引き落としができない。土日を挟んでいるので実家から通帳が届くのは早くても火曜日。

通帳が届くまでもう数日間、ほとんど食わない生活が続く。財布の中身が千円少々なので。

カードを紛失してから5日間で食べたものは、食パン2枚、ゆで卵2個、レタス、板チョコ半分、友達が差し入れしてくれた焼きそばとおにぎり1個。昨日はちょっと贅沢してしまって天下一品でラーメン一杯、カップ麺一杯。

これで全部です。成人男性の1日分くらいの食事量を5日分に分けて、今の所やりくりしてきました。後は水飲んだり。




これまでの学生生活も決して贅沢な暮らしをしていたワケではないけど、結局、僕は学費から生活費まで全面的に親の脛をかじっている甘ちゃんだ。贅沢さえしなれば、まぁ食うことには事欠かないぐらいの仕送りを貰っているワケで。幸い、僕は物欲・食欲ともに控えめなんで。

「どうせ社会に出てから死ぬほど働くのだから、学生時代は極力バイトはしたくない。できるだけ自由な時間を確保したい」とかぬかして短期的なバイトを数回するだけで、まぁ大した不満もなく生活できてるのは親の仕送りのおかげだ。ありがとう、オトン、オカン。



しかし、これは大半の学生に言えることじゃないだろうか。僕は学費・生活費を全て自分で賄っている学生にまだ出会ったことはない。僕も含めた周りの連中は、程度の違いこそあれどけっこう親の脛をかじっている。


ちなみにこれは、自己正当化ではない。僕が親の脛かじりの甘ちゃんであることは認める。本題はここからだ。




僕はいわゆる学生新聞というものを作っていたワケだけれども、どういうワケか学生新聞ってのは学生運動的なものに勘違いされやすい。年配の方は特に。

学生運動。今、学生をやっている者としては考えられない現象だ。大勢の学生が全国規模で、何かを目指して活動する。もともと学生運動は早稲田だか何処かの学生が、学費値上げに反対する運動を起こしたことがルーツだと聞いたことがある。日米安保問題もあったんだろうけど、そっちはよく分からない。

今、大学が学費値上げをしたところで本気で反発する学生がどれだけいるだろうか。あるいは自分たち学生の権利を守るために、大学に対して批判的なスタンスを取っている学生がどれだけいるんだろうか。ちなみに僕の大学は学生自治会すら解散している。

当時は苦学生がたくさんいた。僕のこの数日間の生活を4年間続けながら、学費を値上げされたらたまったもんじゃないだろう。そりゃあ、抗議運動も起こります。その運動を高揚させる為のツールの一つとして学生新聞というものがあったんだろう。

決して学生運動を肯定するワケではない。肯定や否定をできるほど僕は当時のことを詳しくしらない。問題はそこじゃなくて、豊かになりすぎるのもどうかなぁ、ということ。親の脛をかじって、モラトリアムに甘んじやすくなっちまうんじゃないか?現状打破するために勉強したり、広義の意味でよりよい生活をするために積極的に成長していこうと思えなくなるんじゃないのか?もちろん、人それぞれだが。もうちょっと危機感のようなものがあれば、今の学生も頑張るんじゃないか。


結局何が言いたいのかと言うと貧困や空腹は何らかしらのパワーを生み出すということだ。劣等感、屈辱は原動力になる。それは形を変えて自己実現や目標達成の為の向上心へ変わる。

つまり腹いっぱいで平和ボケするより、ある程度空腹である方がより高みにいけるんじゃないかということです。そう、当たり前のことを書いてみただけ。

何でこんなことを書くのかと言うと、再放送されてるグルメ番組で豪華な料理を食べているタレント達に嫉妬しているわけです。

自分もバリバリ社会のために働いて、自己実現してやろうと思う次第です。

あぁ、カニ美味そうやな。