サッカーと私

近所の中学校のグラウンド。

蛍光色のビブスを付けて紅白戦を行っているサッカー少年達。粗いトラップ、セカンドボール狙いの大味な縦パス、パス2本繋いだ後のことは考えてないポジショニング。したがってフォローも遅い。中盤すっ飛ばしてビルドアップも糞もない、勢いだけのサッカー。

それでも必死にボールを追いかける少年達の姿を、俺はコンビニの袋を下げて遠い所から眺めてました。指先に挟んだ煙草を、どこかバツ悪く感じながら。そしてサッカーを観る時、語る時、俺は多少の寂しさを感じるのです。




俺も10年近くサッカーをやってました。そのサッカー人生の中で一番辛くて、でも真剣だったのは、中学時代だった。間違いない。これは、もう財産です、色んな意味で。

まず監督が尋常じゃなかった。ほとんど非合法的な存在でした。殴る、蹴る、選手が倒れたら、踏みつける。殴られる時にちょっとでも顔をそむけたら、監督から視線が外れたら…。

しかし単なる鉄拳制裁主義者でもなかった。県のサッカー協会の重役。前任の中学を四国王者に輝かせ、県外の名門高校に選手を輸出した闘将。その中学で、空き教室を自分専用の個室にして、スーパーファミコンに興じていたという噂を持つ教師。校長室に「もっと練習できる時間を長くしろ!」と怒鳴りこんだという下克上伝説。

とにかく俺達のサッカー部はそんな鬼軍曹と、サッカーを取り上げたらほとんどヤンキーな中坊達の集まりでした。

練習は私語厳禁。練習着はシャツからソックスまで白限定。何故かパンツはブリーフ以外不可。異常な声出し。まさに軍隊。朝練はミニゲーム、午後は基本練習、フォーメーション、セットプレー、走りこみ。夏期は午前と午後の部、2回の練習。1時間ランニングで後輩は次々とゲロを吐いた。硬い乾ききったグラウンドでスライディングの練習をして、風呂に入れないぐらい太腿の皮も剥けた。平成の世に顔面ブロックの練習したチームあるか?トレ選上がりの期待のルーキーも、次々と辞めた。

鬼軍曹は「前の中学では2回救急車呼んだぞ」と疲弊し切った俺達にほとんど侮蔑にも近い言葉を投げかけ、試合に勝っても内容が悪ければ延々と走らされた。苦労自慢に聞こえるだろうか?そう、苦労自慢なのだこれは。それぐらいきつかった。それでも続けた。

俺達の県内での最高成績はベスト8。いや、あそこでヴォルティスユースに当たらんかったら、決勝いけてたって…!とにかく、何よりも俺達のサッカー部こそが一番きつかって!

スパイクはいつもアシックスのルーゴ。2年の夏、やっと掴んだボランチを半年でベルギー帰りの後輩に奪われた。そこからコンバート先の左サイドバックをアキラと争った。正月もボール蹴ってたな。誰も覚えてないと思うけど、俺が新人戦地区予選で見せたヒールスルーパスは、あの予選のベストプレーだと思う。引退試合のホイッスルはベンチで聞いた。本気で泣いた。

高校なんかやってないに等しい。大学のサッカーサークルなんて女の子と遊んで終わりだった。驚くほど簡単に俺はサッカーを辞めましたね。つまり結果的に中学時代が一番真剣にサッカーに向き合った時でした。中学生の俺が今の俺を知ったら「えぇ〜!高校とか大学はもっと練習厳しかったん!?」とビックリするでしょう。逆だ、逆。

あの時の選択に後悔はない。サッカーを辞めたから、出会えた人だって腐るほどいる。現に俺が進もうとしている道だって、サッカーでは見つけられなかったと思う。結果論ではない。

でもなぁ、ときどき無性に寂しくなる。やっぱサッカー好きやわ。新聞なんかに浮気してゴメン。あと1回、どっかでボール蹴らしてくれんかなぁ。煙草やめるからさ。あぁ〜、サッカーしてぇ。

あと、あの練習で身につけたハズの忍耐力は何処いったんだ!