徳島

実家から荷物が届いた。

レトルトのカレー、インスタントラーメン、パスタ、野菜ジュース…。やたらと野菜ジュースが多かったのは、もちろん俺の健康を気遣ってくれてのことです。ありがとう、オカン。早く帰りたいな徳島。


思い返せば「こんなしみったれた街にいては、どうにもならん!」と徳島を飛び出して、もう5年になる。

徳島での18年、関西での5年。連続性の上に成り立つ人生を区切って秤にかけるなんて不粋だけれど、濃度という表現で比べるのであれば、個人的には後者の方が濃い。勿論、それは二十歳という多感なお年頃に、大きく環境が変わったからだということも多分に影響してると思う。

でもそれだけじゃない。一番は、大きく変わった環境の中で、自分なりにちょっと大人になったからだと思います。いや、ちょっとマシなガキになったくらいかな。とにかくこの5年は、間違いなく自分の中ではでかい。おそらく晩年に自分史なる教科書を作れば、けっこう大きな項目になるハズだ。

こっちでの生活が充実すればするほど、自分の中で徳島という街のウェイトが小さくなっていく。年に徳島に帰るのは2週間足らず。おそらくこれから、もっと疎遠になる。物理的にも精神的にも。

記者として第一線でやっていこうと思えば、活動の場は有無を言わさず東京になります。あるいは海外かもしれない。幸か不幸か、俺にはそのチャンスが与えられてしまいました。そして、経験上、俺はそのチャンスに積極的に乗っていくタイプなのです。その先に出会う人や出来事のことで、多分俺の小さい脳みそは一杯になります。そうして、また徳島が小さくなる。

就職活動の時、俺は一社だけ地元の銀行を受けた。今の会社に内定を貰って、その銀行の内定を辞退する時、俺は何故か泣きそうにまりました。もちろんリクルーターや人事の人が熱心に誘ってくれたというのもあるけれど、徳島を自分の中で捨て切ったような感覚を覚えました。もう、これでほとんど徳島に帰るチャンスはなくなってしまったワケです。何かを選ぶということは、何かを捨てること。俺には何かを選ぶ勇気はあっても、何かを捨てる覚悟はちょっと用意できてなかったみたいです。


後悔はないけど、寂しさはあるよな。俺の中でどんどん小さくなっていく徳島の人たち。そして地元の連中の中でも、俺自身がどんどん過去の人になっていくのです。それは今、俺と親しくしてくれている大学・サークルの友人諸氏も例外じゃない。

思い出作りだ〜、とやたら旅行に群れて出かける友人達を冷ややかな目で見ている俺ですが、確かに思い出は大事やね。本当にこれから、たくさんの人と会って思い出を作っていこうと思う。意図的も糞も無い。それすら出来なくなるんだ、半年後。親にも出来る限りのことをして行こうと思う。親に受けた恩なんて返し切れるわけないけどさ。

だから、もうちょい脛かじらせて…。