同窓会

アロハ。

まったく使われていない兄貴のノートPCから接続してます。SONYVAIO…おそらく6年前くらいのモデルで、とにかく分厚く重たい。現在、家電量販店の店頭に並べられている最新モデルが奇跡に思えるほどです。軽量化、最小化、効率化、万能化…技術の進歩は目覚しい…。

そして俺は、技術革新だの、利便性の向上だの、グローバリズムだのという時代の流れにすっかり取り残された街に帰省しています。時代に取り残されたことを象徴するように今や化石とも言うべき汽車がノロノロと街を走り、地元紙である徳島新聞の購読率が9割近くという後進的で閉鎖的なこの街に。

高校時代は反吐が出そうなほど嫌いな街だった。俺の場合、それは自分のことが嫌いだったということを意味するのだけれど、ここでは詳しく書かない。今よりもっとガキだった俺は自分のふがいなさをこの街と高校になすりつけました。つまりは自分の事が好きになれなければ、その環境も好きにはなれないということです。自分が負の視線を持っていれば、全てが負に見える。

高校時代の自分に最低の自己評価を下し、同時に自分が生まれた街に少し否定的な感情を抱いて、徳島を飛び出した。客観的に見れば圧倒的に楽しい思い出の方が多いのに、俺が手放しで郷土愛を感じることができないのは、そんな自分に後ろめたさとふがいなさを感じていたからでしょう。それはサッカーに対する感情に少し似ている。



でも、やっぱり故郷ってのはいいもんです。

一つは否が応でも過去の自分と向き合うことになる。あの時の自分と何が変わったのか、あるいは変わってないのか。そして普段の生活から離れることで、客観的に関西での自分を省みる。この内省的な行為が実生活に生かされているかどうかはさておき、まぁ、方向性の大枠は確認できる。

そして何よりも癒されます。この街には多少の不満はあっても、不安はない。これから都会でどれだけ成功しようが、逆にこてんぱんに打ちのめされようが、きっとこの街は無条件であたたかく迎えてくれる。変わらない街並み、家族、気心の知れた友人たち、先生。還る場所があるってのは幸せだな。

還る場所があるから、多少の無理も我慢できんだ。

俺の生意気自信満々だった鼻っ柱をへし折った城東高校。その同窓会、酔った頭でそんなことをボンヤリと考えたのでした。