同志社

思えば同志社とも因縁深い。

特に愛校心なんてモノは感じてない。ただ、それに近い何かをようやく感じ出した。そろそろ卒業が現実味を帯びだしたからか?

俺は元々、早稲田志望でした。積極的な理由は特にない。ただ単に東京に行きたかった。「東京に行くなら早慶しか金は出さん。後は同志社で十分足る!」と親父に言われてしまったから早稲田にしただけでした。何故か慶応という発想はなかった。

しかし、何よりも、とにかく俺は同志社には行きたくなかったな。母親が同志社文学部卒で、兄貴も商学部卒。全く新鮮味がなかったワケだ。兄貴の下宿にも何回か遊びに行ってたから「もう京都の大学はいいや」と。加えてやたらと偉そうにする兄貴の鼻をへし折るには、早稲田行くしかねーやろと。

模試の判定も良好。担当講師にも「いけるよ」とお墨付きを貰い、悠々と都の西北を目指しました。帰りの新幹線、もう既に頭の中は入学後。東京でウハウハ。歌舞伎町でウハウハ。女の子とウハウハ。とにかくウハウハ。19歳の野郎の頭ん中なんてそんなもんでしょう。違う?ごめん。

でも春に俺は京田辺の坂を登ってました。大自然が、俺の煩悩を諭すように迎えてくれましたね。結果的に母親は同志社の入学式に3回出席するハメになり「3回目ともなると、ええ加減に飽きたわ」ともらしてました。それは知らん。

これは完全に結果論ですが、同志社でよかったですね。たぶんこの大学じゃないと俺は目標らしい目標なんて持ってなかったでしょう。ありがとう、同志社。そして新島襄先生。俺は貴方に関するレポートを4本ほど書きました。

「我が校の門をくぐりたるものは政治家になるもよし、宗教家になるもよし、実業家になるもよし、教育家になるもよし、文学家になるもよし、且つ少々角あるも可、気骨あるも可、ただかの優柔不断にして安逸を貪り、苟も姑息の計を為すが如き軟骨漢には決してならぬこと、これ予の切に望み、ひとえに希うところである」

俺は記者になります、新島先生。

だから、ちゃんと卒業させて下さい。もうすぐ成績発表ですよ。安逸は貪ってない、とは言い切らないけれども。

祇園でウハウハ…したいな。